自転車通勤途中に見つけた江戸時代〜初代大坂船奉行所跡

大坂船奉行所跡の看板

自転車通勤途中に見つけた江戸時代

自転車通勤にはいい季節ですね。僕は汗かきなのでもう少し肌寒いくらいがちょうど良いのですが、体がこわばる冬とは違い、暖かくなってくると気分にも余裕が生まれるのか、通勤中も景色を楽しみながら走れます。そんな時にふと気になるものを見つけました。

「江戸時代 徳川幕府 初代大坂船奉行所跡」と書かれた看板です。江戸時代という割には、ステンレスの綺麗な看板です。きっと江戸時代にこの場所に奉行所があったのでしょう。少し調べてみたいと思います。




徳川幕府最初の大坂船奉行所

看板にはこのように書かれています。「大坂奉行船は元和6年(1620年)に、近世は難波津に代わって大坂の要津として賑わっていた、伝法・四貫島に設置され、徳川幕府最初の大坂船奉行所を四貫島村としました。 公事屋敷が185件あるという規模で、6軒や3軒で村がある時代の全国約200藩中で日本一の船奉行所になります。」

いまいち判りにくい文章ですが、大阪奉行船(船なんですね)は伝法と四貫島に設置されていた。ということと、賑わってきたので四貫島村をつくり、そこを大坂船奉行所にした。ということでしょうか。その大阪船奉行所は日本で一番大規模な船奉行所だったんですね。

当時、西国諸国は大坂に向かう時、伝法川から逆川を経て大坂市中へ向かった為、幕府はここに奉行所を設けて通る船を監視し、西国諸国の動向を見たとあります。当時どんなものを運んでいたのかわかりませんが、みかんとかカステラとかでしょうか。荷物を監視しながら、謀反を起こす気配はないか、新しい食べ物や発明品、または武器などはないかを確認していたんでしょうね。

ある有名人直筆の石碑が!

看板に近づくと石碑が見えてきます。裏面にあたるのでしょうか。小さな字が下の方に書かれています。「なんだろう?」と思いながら近づいてみると、そこにはなんと驚きの名前が!

橋下徹 書

「橋下徹 書」と書かれています!「え?なんで??」まさかの有名人の登場にひるみました。どうやら橋下さんが書いた文字を石碑にしているようです。

橋下徹 書 初代大阪船奉行所跡の石碑
そして前に回ってみると、石碑らしからぬ文字で書かれた「初代 大坂船奉行所跡」の文字が。奉行所の跡地がどうというより、橋下さんの直筆文字で書かれた石碑の方が強烈な光を放っています。

荷捌き場跡の石碑

ちなみに、この石碑が建てられる前のオリジナルはこちらのようです。対岸にひっそりとたたずんでいます。

普通の石碑は、お坊さんが筆で書いたような達筆文字か、フォントのような見やすくて綺麗な文字で書かれています。しかし僕にとっては、このらしからぬ文字の違和感が新鮮でした。

朝日橋からの景色

先日の都構想の住民投票では残念な結果になってしまいましたが、橋下さんが市長に就任したという痕跡がこんな形で残るのですね。特に「跡」という漢字何ともたまりません。。。橋下さん曰く、「字には自信がない」そうで、平松前市長と一緒に書いた「難波橋」の名前を書いた石板もあるそうです。なにげなく近づいた看板でしたが、こんなサプライズが隠されているなんて!無駄な道草もくってみると面白いもんですね。これぞ自転車通勤の醍醐味!お近くにお住まいの方は、ポタリングの通過地点として一度見学してみてはいかがでしょうか。

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